甲ヶ山●鳥取  大山火山外輪山の盟主

 東北に生まれて関東に長く住んだ私にとって、中国地方の山は縁遠い存在だった。2005年の秋に中国地方最高峰の大山を登るまで、北アルプスより西の山に足を踏み入れたことは一度もなかったのだ。ところが思いがけずその翌年から山陰の鳥取県に移住することになり、それからは空いた時間があれば、中国山地をはじめとする西日本各地の山岳をあちこち歩き回る日が続いている。
 西日本の山というと標高が低く、なだらかで、山が浅くてあちこちに林道が通っているという、登山の対象としてはマイナスイメージになるような先入観を以前から持っていた。しかし実際に歩いてみると、それが当てはまる場合が少なくないというのは事実ではあるのだが、それでもこの地方ならではの良さを持つ山も多いことに気付かされた。爽快な縦走を楽しめる蒜山三座や那岐連山、多くの登山コースを巡り歩くことのできる比婆山連峰、日本海を間近に望む出雲北山、低山だが岩山の多い瀬戸内に面した山々など、魅力的な個性溢れる山々が思いのほか揃っているのだ。

甲ヶ山
小矢筈付近から見た甲ヶ山。山陰には珍しい岩山だ

岩稜で異彩を放つ頂稜部

 その中でも大山の北東に延びる、大山火山の外輪山に連なる山々は、頂稜部が岩稜となっていて異彩を放つ、注目に値するエリアだと思う。甲ヶ山はその大山火山外輪山の盟主とも呼ぶべき山であり、標高こそ隣接する矢筈ヶ山に譲るものの、南北双方に付けられた登山道のどちらをたどるにしても、頂上に立つには一山を越えなければならず、岩場の通過も避けることができない。甲に見立てられた山容も特徴的で、離れた場所からでも指し示すことができる立派なものであり、私のお気に入りの山の一つとなっている。
 この甲ヶ山は東面を流れ落ちる急峻な矢筈川からの沢登りや、大山の一端となるユートピア小屋方面への長い縦走、さらには頂上岩壁でのクライミングなど、様々なスタイルで登られている懐の深い山なのだが、ここでは大山の北面に位置する川床を登山口として大休峠に至り、そこから矢筈ヶ山を越えて甲ヶ山頂上に立ち、外輪山末端の船上山まで進む縦走コースを紹介したい。地元では“琴浦アルプス”の愛称でPR中であり、中国地方の登山者には、北アルプスなど中部山岳を目指す前段階のトレーニングの場としても活用されているコースだ。

甲ヶ山
矢筈ヶ山頂上から見た小矢筈(右)と甲ヶ山(左)。遠くには日本海が広がる

古い石畳に偲ぶ大山信仰

 川床へはタクシーかマイカーを利用して向かう。すぐ下を流れる阿弥陀川を渡って登り返すと、傾斜の緩い歩きやすい道となる。途中の二つの分岐はいずれも直進し、大きな沢筋の切れ込みを過ぎると、古い石畳の道が断続する。これはかつての大山詣での参道であり、今から約400年前に近隣の村人によって寄進造成されたものとのこと。こんな山奥に石畳を敷く労力は並大抵ではなく、当時の大山に対する信仰の厚さがうかがわれる。
 やがて到着する大休峠は山深い雰囲気が漂う場所であり、川床方面、大山(野田ヶ山)方面、一向平方面、そして甲ヶ山(船上山)方面への道が交わる十字路で、立派な避難小屋も建てられている。長丁場である今回のコースを歩く場合は、早朝出発ができないならば無理せず二日間の行程にして、この小屋に宿泊する計画にするのも一案だ。水は一向平方面へ5分あまり向かった小さな水場で得ることができる。
 大休峠からは、避難小屋手前を左に向かって登る。少々笹の濃い一角を抜けると急坂となり、登りつめるとそこからは快適な尾根歩きで矢筈ヶ山へ向かう。矢筈ヶ山の頂上は狭いが展望は良く、進行方向を見ると鋭い小矢筈と、どっしりとした甲ヶ山の対照的な姿が目に飛び込んでくる。これからたどる山稜の険しさに、気持ちが引き締まるひとときだ。
 痩せた尾根を鞍部まで下って小矢筈の登りにとりかかるる。ここからがいよいよこのコースのハイライトである岩稜部分の始まりだ。大きな段差となっている岩場を、ところどころ灌木の助けも借りて一気に上まで登る。小矢筈の頂上は狭くて細長く、北面が切れ落ちた一角もあり、緊張するところだ。休憩もそこそこに急な下りに向かうが、ここは左右に木々が生えていて気分的には楽だろう。甲ヶ山との鞍部は平坦なブナ林となっておりひと息つける。しかし前方には甲ヶ山南壁の岩肌が迫ってきて、同時に緊張感も高まってくるところだ。だが登山道は岩場の直登は避けて右から回りこむように巻いているため、見た目ほどの困難さはない。けれども滑りやすいトラバースの箇所もあり、油断は禁物。頂上直下はマーキングされた岩場を進む。傾斜の強い部分もあるので三点支持で慎重に登ろう。

甲ヶ山
大休峠に近い石畳。古くから歩かれた、大山寺と三徳山を結ぶ道だ

山頂から「ゴジラの背」に

 たどり着いた甲ヶ山頂上は思いのほか狭く、標識も質素なものだが周囲に遮るものはなく、360度の大展望が広がる。北には日本海、そして南西には大山の姿も一望できる。しかし船上山から甲ヶ山にかけては、鳥取県内でも局所的な悪天候や曇天に見舞われることで知られる一帯。展望にはあまり過大な期待をせず、景色が見れたらラッキー!くらいの気持ちでいたほうがいいかもしれない。
 頂上からは低灌木の生えた細い尾根を北に進み、通称“ゴジラの背”と呼ばれる岩稜に差しかかる。ここは尾根の長さ50mあまりの箇所に大岩の連なった傾斜の緩い岩場だ。目印は皆無なので、慎重なルートファインディングが要求される。右に左にと弱点を選ぶように通過すれば岩稜部分は終わりで、危険な箇所はもうないが、まだまだ先は長い。
 続けて鉄塔にビニールテープを貼って印された、甲ヶ谷方面への下山路を左に分ける。この下山路は比較的短時間で下ることができ、さらに出発地点の川床に戻ることができるので便利ではあるのだが、急峻でルートファインディングも非常に難しいため、山慣れた者以外は踏み込むのは避けるべきだ。
 さらに進むと、登山道上に標識が立つだけの勝田ヶ山頂上となる。この少し先の三角点の設置された地点から急斜面を下れば、緩やかな下り中心の道がしばらく続く。特に厳しい箇所はないが単調で長く、疲労感を覚えるところだ。それでも左右に広がる美しいブナ林に癒されながら進むと、ひょっこりと船上山神社の境内へととび出る。山の奥に鎮座する、神秘的な雰囲気を持つ神社だ。そこから鳥居をくぐってなだらかに下ると、薄ヶ原と呼ばれる草原へと抜け出る。すでに船上山山頂の一端であり、右手の“船上山行宮碑”の建つ小高い丘が頂上となる。

甲ヶ山
ゴジラの背と呼ばれる岩稜を上から見下ろしたところ。心地良い高度感を感じつつ通過できる

柱状節理の岩壁「船上山屏風岩」

 さて薄ヶ原からはいよいよ最後の下りだ。手入れの行き届いた道を進み、横手道を右に分けると間もなく、右手に大きな草の斜面とその上に帯状に広がった柱状節理の岩壁の様子を望むことができる。この岩壁は屏風岩と呼ばれ、見渡せる部分からさらに奥のほうまで、約600mに渡って続いている。中央部分にはクライミングルートも拓かれていて、鳥取岳人の修練の場ともなっている岩場だ。
 その先道は間もなく、舗装された車道である中部林道に出合うのでこれを右に進む。やがて脇にトイレの立つ細い舗装路が現れるのでそれを下ると、船上山ダムの下手にある船上山少年自然の家へ下山する。変化に富んだ長いコースを歩き通せたことで、充実感もひとしおだろう。
 形が良く、岩場があって、山深い――山陰の山らしからぬ要素を持つこの甲ヶ山を、ぜひもっと多くの登山者に訪ねていただき、中国地方の山の魅力を再確認してもらうことができればと思う。

甲ヶ山
下から見上げた船上山屏風岩の全容

DATA

参考タイム●川床(1時間40分)大休峠(1時間)矢筈ヶ山(1時間20分)甲ヶ山(2時間)船上山(40分)船上山少年自然の家
アクセス●川床へはJR米子駅から日本交通バス(米子営業所℡0859-33-9116、片道約55分、700円)で大山寺へ行き、そこからタクシー(日興タクシー℡0859-54-2101、片道約10分、約2,500円、要予約)で向かう。大山寺から徒歩で行く場合は約1時間。マイカーの場合は米子自動車道米子ICから県道24号で大山寺まで行き、そこから県道30号を進んで川床へ。川床には車4~5台分の駐車スペースがある。帰路は船上山少年自然の家から日ノ丸バス(倉吉営業所℡0858-26-4111、片道約30分、100円)でJR赤碕駅へ。
アドバイス●前日に大山寺まで入っておいて、早朝出発するのがお勧め。大山寺での宿泊に関する問い合わせは大山町観光案内所(℡0859-52-2502)へ。テント泊は下山野営場(自然公園財団℡0859-52-2165、7~8月のみ1人400円、それ以外は幕営は可能だがトイレなどの施設は使用不可)で可能。コースは小矢筈では尾根が細く、甲ヶ山は岩場となるため、風の強い日、雨天の日は避けるのが無難。
問い合わせ●大山町大山支所℡0859-53-3311、琴浦町役場℡0858-52-2111

コラム●逆コースをたどって大山へ

 本文で紹介したコースを逆にたどり、大休峠で一泊して大山に向かうコースも充実する。この場合のスタート地点は船上山少年自然の家。大休峠までは登り中心となるため、1日目の所要時間は6~7時間程度となる。
 2日目は野田ヶ山の登りから始まる。刈り払いがされておらず、ヤブの濃い箇所もあるので要注意。核心部となる親指ピークの通過は、フィックスロープもあるが不安定な木の根を掴んでの下りとなるので慎重に。続けて振子山を過ぎると、象ヶ鼻と呼ばれるピークに出て、大山縦走路と合流する。
 本当はここから大山最高峰の剣ヶ峰に登ることができれば良いのだが、現在は途中の尾根全体が小石の屑となって崩れギャップを形成しており、手も足も出ない。反対方向にはユートピア小屋を経て三鈷峰がそびえているので、そちらを登ろう。ケルンの積まれた、大山北壁を望む静かな頂上が待っている。
 下山は一旦ユートピア小屋手前の分岐まで引き返し、上宝珠越へ。そこからは最短で下れる砂滑りコースを駆け下りるのも楽しいし(落石には要注意)、宝珠尾根を縦走するのも満足度が高い。いずれも下山先は大山寺となる。所要時間は5~6時間程度。

甲ヶ山
大休峠から大山方面に向かう場合の核心部なる親指ピーク。下降が嫌らしく要注意

※山行日は2006年秋から2010年秋の間の複数回、DATA等は2011年4月時点のものであり、現在は状況が大きく変わっている可能性があります。出向く際には、必ず最新情報を事前にご確認ください。