奥秩父の山を登り続ける山田哲哉の重厚な本。
思い出が残る奥秩父の山々
私の好きな山域には、谷川連峰や伯耆大山山系などがありますが、中でも特に好むのは奥秩父です。22歳のときに本格的な登山を始めようと考えて、それから山岳会に入会するまでの1年半の間、もっとも足繁く通った山々であり、試行錯誤して苦しかったけれども充実もしていた当時の思い出が、たくさん刻み込まれているからです。
山岳ガイドの山田哲哉による『奥秩父 山、谷、峠そして人』と題した連載記事が、雑誌『岳人』に載ったのはその約20年後となる、2009年1月号から2011年12月号にかけてのこと。これは奥秩父の山々の、40年以上にも渡る移り変わりが記された、重厚な読み応えのある記事でした。その頃鳥取県に住んでいた私は、興味深く、また同時に駆け出しの頃の自分の姿を思い起こして、懐かしさも感じつつ毎月楽しみに読んだものです。
ところで著者の山田氏はとても気さくな方で、近ごろは居合わせた山小屋や山岳関連の行事の場で、しばしばお声がけいただけます。そんなうちに、かつての連載をもう一度読んでみたくなり、今回、加筆された単行本を入手しました。
広範な視点から見た奥秩父の山の姿
この本では書名通りに、埼玉県の秩父盆地の奥に連なる山々を、山、谷、峠、及び人の4つの視点から書き綴っています。
「山」の章では、主要な山頂の特徴や、登山道の様子などが記されています。中でも私が嬉しく思ったのは、注目されることが少ない雲取山の西側にそびえる飛龍山が、大きく取り上げられていること。この山は小見出しにも「もっと登られていい不遇の名山」と記されている通り、苔が見事な頂上、大展望が広がるハゲ岩、そして不思議な平坦地が続く天平尾根と、非常に魅力ある、私も大好きな山だったからです。また奥秩父南面の謎のピーク・黒富士が、なぜ黒い富士なのかが解説されていたりと、発見もあって楽しく読み進めました。
「谷」の章は、私がもっとも期待を持って読んだ章です。奥秩父の谷は困難さはないものの美しく、静かな沢登りが楽しめます。私もその魅力に惹きつけられて、10年近く通った時期がありました。やはり奥秩父を語るには、谷の魅力を伝えることは必須と思えるのです。この章には、有名な釜ノ沢のほか、私も大好きだった大荒川谷や大常木谷が、特に素晴らしい沢として紹介されていて嬉しくなります。ただし、過剰な林道開発によって失われつつある谷についての記述も多く、心が痛むばかりか、憤りも感じずにはいられませんでした。
次の「峠」の章は、少々重い内容です。鉄道や車道が発達する以前、山間に隔絶した秩父の人々が他の土地に行くためには、奥秩父の稜線にある峠を越える必要があったとのこと。今では登山道上の鞍部に過ぎない峠が、かつてはかなりの人数が行き来する、交通の要衝だったというのは驚きです。それを知ると現在の、限られた登山者しか通らない峠が、妙に物寂しく思えてきます。
さらにこの章には、1884年に事件となった秩父困民党の成立と消滅についても記されています。当時の世界の経済状況に翻弄されて、暴力的な武装闘争に踏み込んだ秩父の人々。八方塞がりのその苦しみが感じられるもので、政治はどうあるべきかを考えさせられました。
そして最後の「人」の章は、なかなか楽しく、また現在の私にとっては親しみを持って読めるものでした。今は私も東京に住み、登山ガイドとして奥秩父の山に向かう機会が増えました。その際にお世話にな山小屋の皆さんの考えや、意外な一面を知ることができ、次に泊まりに行くのが楽しみになってきました。
その他本書には、自然環境や林業の業態変化がもたらした、以前とは異なる奥秩父の様子が描かれています。ともすれば我々登山者は、直接登山に関わることばかりに目が向きがちではないでしょうか。しかしこういった広範な視点を持つことが、これからの山との関わり方を考えるために重要ではないかと思います。奥秩父を好む人だけでなく、他の土地に住み、また違ったお気に入りの山域を持つ人にとっても、読むべき価値ある一冊でしょう。
山田氏は現在、本書の姉妹編と言うべき「奥多摩 山、谷、峠そして人」を『山と溪谷』に連載中。こちらも読み応えのある内容で、毎月ヤマケイが手元に届いたら、自分の書いた記事よりも先にページを開いて見ています。完結するまで、ずっと応援していきたい連載です。
(『週刊ヤマケイ』2018年6月21日配信号に掲載)