山の本が充実していた中公文庫。

『栄光の岩壁』のモデルたち

 前回紹介した新田次郎のアルピニスト伝記長編三部作の、主人公のモデルとなった登山家には、それぞれの手による著書が存在します。『孤高の人』の加藤文太郎は『単独行』、『栄光の岩壁』の芳野満彦は『山靴の音』、そして『銀嶺の人』の今井通子は『私の北壁』という本を書いています。
 新田次郎の小説をひと通り読んだ頃、その中のひとつ『山靴の音』を見つけたのは、書店でいつもは素通りしていた中公文庫の棚でした。小説に描かれた登山家が、実際はどんな人柄だったのか気になっていたので、さっそく購入し読んでみました。
 冒頭にはまず、芳野氏が両足の先端を凍傷で失うことになった八ヶ岳での遭難の顛末が、淡々と記されていました。そして芳野氏の国内での屈指の記録である、前穂高岳北尾根四峰正面壁や、北岳バットレス中央稜での冬期初登攀の記録も、意外なまでにあっさりと書かれていて拍子抜けするくらい。
 いっぽう奥上高地の徳沢園で、芳野氏が一人で越冬しつつ小屋番をした様子を綴ったエッセイは叙情的で、読んでしんみりするものでした。特に徳沢園の犬のことを書いた「ゴンベーと雪崩」という一編は、ゴンベーに対する愛情に満ちあふれていて、動物好きである私のお気に入りとなりました。
 読み終えてけっきょく、『栄光の岩壁』の主人公の生真面目さを感じる竹井岳彦と芳野氏とは、別だということを確認。芳野氏はもっとおおらかでユーモア溢れる人であることを知って、嬉しくなったものです。
 ところでこの本を読んでもうひとつ気づいたのは、北岳バットレスの登攀に同行している吉尾弘という人が、『栄光の岩壁』の登場人物である吉田広のモデルであるということでした。そしてその吉尾氏の著書も、同じ中公文庫に存在することにも気づいたのです。『垂直に挑む』という本です。
 これも続けて読んだのですが、こちらは岩壁に打ち込む痛々しいくらいの思いが込められた、とても力強い登攀記録集でした。『山靴の音』とはまた違った、岩を登る吉尾氏がかっこよく感じられる、印象に残る内容でした。

登山者のブックシェルフ第5回
背表紙が肌色の中公文庫。これらの本を読みふけったオールドクライマーは数多いのではないでしょうか?

連鎖的に中公文庫を読む

 その『垂直に挑む』には、吉尾氏がパーティを組んだり、影響を受けたりした登山家が多数登場します。中公文庫のラインナップを見ると、その中の何人かの著書もあることにも気づきました。古川純一『わが岩壁』、松本竜雄『初登攀行』、小森康行『垂直の上と下』の3冊です。もう止まらなくなってこれらも次々と読み進めるうちに、自分を律して困難な岩壁を目指すクライマーたちの姿に、深い共感を覚えました。それまでは漠然とした憧れの対象だったロッククライミングを、よりリアルなものとしてとらえて、「自分も岩を登ろう!」と本気で考えるようになったのです。
 さて中公文庫はこれら以外にも、山の本が充実していました。いずれも個性的な良い本ばかりですが、その中でもっとも私の記憶に残るのは、山岳書としては古典といえる、杉本光作の『私の山 谷川岳』です。
 杉本氏は1907(明治四〇)年生まれ。登歩渓流会という山岳会に所属して、戦前、谷川岳の岩場で数多くの登攀記録を残してきた日本のクライマーの先駆者の一人です。この本にはその頃の岩登りの様子や、救助手段がまだ確立していなかった当時の、遭難の際の捜索活動の模様などが多数記されていて、非常に興味深いものです。
 また「わらじと脚絆」や「ハーケン論議」といった小文では、新しい装備を取り入れるかどうかの意見を交わす、仲間たちのやりとりが軽妙に描かれていて、読んで心が和みます。
 そして、杉本氏たちが生きたのは戦争の時代でした。杉本氏をはじめ登歩渓流会の仲間たちも次々に招集されて戦地に赴いたり、満州に渡るという、現代の日本では考えられない厳しい状況の下で過ごしていたのです。それでも戦火をくぐり抜け、終戦後に仲間と再会し、年齢を重ねつつもまた一緒に登る姿には胸が熱くなりました。残念なことにすでに絶版になっているのですが、機会があればぜひ多くの登山者に読んでほしい一冊です。

(『週刊ヤマケイ』2017年11月30日配信号に掲載)