大学山岳部に羨ましさを感じた植村直己の本。

見事なサクセスストーリー

 私が登山に強く興味を抱きはじめた1980年代末頃には、山好きの人ならば必ず読んだに違いない1冊の本がありました。その本のタイトルは、『青春を山に賭けて』。著者は植村直己です。この連載の第1回目で紹介した『グランドジョラス北壁』(小西政継著)に登場する、北壁を登ったメンバーの一人です。
 当時勤めていた会社の同僚でアウトドア好きの人が、
「山に登るんだったら絶対に読むべき本だよ」
と言って貸してくれたことをきっかけに、私もこの本を読みました。
 内容を簡単に紹介すると、明治大学の山岳部員だった植村氏が、卒業後には就職せずにヨーロッパの山を登ると決意するところから話が始まります。その後まずは移民船に乗って、当時は日本よりも生活水準の高かったアメリカ、のちにフランスに渡って、登山資金を稼ぐためのアルバイトに専念。その最中に、母校である明治大学のヒマラヤ遠征隊に呼び出され、ネパールの未踏峰ゴジュンバカンに初登頂。その後は日本人初のエベレスト登頂者になり、さらには世界で初めての五大陸最高峰登頂者にもなるまでの、約7年間の登山の記録であり、見事なまでのサクセスストーリーです。
 この本が最初に出版されたのは、1971年の春。私が読んだ当時でも、やや古いと感じはしたものの、それでもとにかく植村氏の発想のスケールはでかく、行動力も抜群で圧倒されました。目的の山を次々と登っていくその様子には、痛快さをも感じたものです。そしてこれらの登山が、貧乏くさいまでの節約や忍耐、地道な努力の積み重ね、さらに礼儀正しさといった、ひと昔前の日本で大切とされてきた価値観をベースにして成し遂げられているというのも、私も含めた当時の多くの読者の共感を得た理由でもあるでしょう。
 またページのあちこちに散りばめられた、ちっともイケメンではないのになぜかモテる、植村氏と外国人女性たちとの触れ合いも、楽しませてくれた要素の一つでした。

登山者のブックシェルフ第3回
「北極三部作」はそりを引く犬たちとの触れ合いについての記述も多く、動物好きの人にも楽しめるでしょう。

単独行へのこだわり

 これを貸してくれた同僚にすごく面白かったことを伝えると、続けて植村氏の別の著書も手渡されました。「北極三部作」とされる『極北に駆ける』『北極圏一万二千キロ』『北極点グリーンランド単独行』に加え、通算5回もエベレスト登山に向かった植村氏がその思い出を書き綴った、『エベレストを越えて』の4冊でした。
 「北極三部作」では植村氏が次の目標として掲げた、南極大陸横断に向けてのトレーニングでもあった、北極圏での活動が記されています。グリーンランド最北の村に滞在して極地での生活技術を学び、犬ぞりを駆使して12000kmもの長距離の旅を成功させたり、登山とは異なる危険と困難がある北極点到達やグリーンランド縦断をするなど、こちらもとても魅力的です。
 北極圏に通い続けたその約7年間、登山から離れていた植村氏は再びエベレストを目指すのですが、その経緯は『エベレストを越えて』に記されています。この本ではそれまで触れられていなかった裏話的なことも書かれていて、興味深い内容です。
 植村氏の行動を特徴づけるのは、単独行への強いこだわりです。五大陸最高峰も、エベレスト以外はすべて単独で登頂。北極での活動も基本は単独でしたし、結局は果たせないで終わった南極横断も、単独で目指す予定でした。当初は組織の一員としての行動も多かった植村氏が、ある時点から単独行に傾倒していくその思考の移り変わりは、今の視点から見てもいろいろと考えさせられるものがあります。
 ところで当時の私が植村氏の影響を受けて単独行に進んでいったか?というと、そんなことはありませんでした。むしろ私はこれらを読んで、組織の魅力というかメリットを、強く感じたのでした。植村氏が羽ばたく最初のきっかけになったゴジュンバカン遠征も、立ち位置を強固にしたエベレスト登頂も、みな明治大学山岳部の部員だったからのこと。その後の北極での単独行のときも、やはり山岳部の人々の、力強いサポートがあったのです。
 ほんの数人しか山の友人がいなかった私には、大学山岳部がとても羨ましいものに感じられて、自分もどこか大学に通い山岳部に入りたかったなと、叶わない夢を思ったものでした。

(『週刊ヤマケイ』2017年11月2日配信号に掲載)