「脱システム」をキーワードに論ずる現代の冒険。
魅力あふれる探検家
『空白の五マイル』『アグルーカの行方』『極夜行』といった、骨太の探検記を多数著している探検家で、ノンフィクション作家の角幡唯介。その多くが開高健ノンフィクション賞や梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞などを受賞して、話題になりました。『週刊ヤマケイ』の読者であれば、この角幡氏の本を読んだことがある方も多いのではないでしょうか。私も角幡氏の著書は大好きで、これまでそのほとんどを読んでいます。
角幡氏の著書は構成が巧みで、舞台となるチベット奥地の渓谷のことや、北極圏の探検の歴史など要点をまとめ解りやすく記されており、探検の知識のない人にもとても読みやすい内容です。
また、探検を必要以上に美化せず、負のイメージが付きまとうことも包み隠さずにはっきりと書き記すことも、角幡氏の魅力の一面です。臭いとか汚いとか、さらには残酷とも思われる事柄もズバズバ書くことで、体験した状況のより深いリアリティが伝わってくるのです。
そういった世間体にとらわれないあけっぴろげさは、上に記した探検記以上に、『探検家、36歳の憂鬱』に代表される、エッセイのほうがより顕著。あるときは軽快にちょっとバカバカしく、またあるときはロジカルに、一般常識にとらわれないそのストレートな記述は、とても説得力があり納得させられます。
本質を見据えた冒険論
その角幡氏の最新作が、この春に出版されたばかりの『新・冒険論』。これは探検記でもエッセイでもない、現代の冒険のあり方について論じた読み応えのある本です。
この本の趣旨は、冒険とは「脱システム」である、ということ。ここでいう「システム」とは、人間の行動を管理・制御する、秩序といったもののことを指します。昔はこの「システム」はシンプルなもので、限られた範囲にしか影響は及ばず、そこから抜け出すのはそう難しくはありませんでした。
ところが現代はインターネットが発達し、地球上どこにいてもGPSが使用できる高度な情報化社会です。極地探検や登山において、それら文明の利器を積極的に活用することは「システム」を脱することにはならず、安全が担保された状況下で行う、スポーツと同じではないか、と本書では論じています。例えばガイドやシェルパが安全を確保し、登山経験が浅い者でも頂上を目指せるようになった最近のエベレストのツアー登山のことは、「マニュアル化が進んだ非冒険的な姿」と評しています。
角幡氏は敢えて便利さや安全性を取り除き、「脱システム」の冒険を実践することにこだわります。そうすることに、冒険の社会的な価値を見い出しているからです。本書に記されている、さまざまな冒険の実例や、それについての考察を読むことで、スポーツではない、本当の冒険の姿とその重要性とを知ることができるでしょう。
もし、登山道を歩くだけの山登りに物足りなさや、スポーツ的な冒険に違和感を感じる人ならば、この本を読むことで、これまでにない新たな方向性を見出すことができるに違いありません。
(『週刊ヤマケイ』2018年8月2日配信号に掲載)