救助者として山岳遭難に向き合ってきた金邦夫。
東京都は山岳遭難多発地域
登山を始めようと思い立った人が手始めに向かうのは、住まいから近い山であることが多いでしょう。私も最初に登ったのは奥武蔵の伊豆ヶ岳で、その後しばらくは近郊の山に登っていました。中でも足繁く通ったのは、東京都の西側に山並みを連ねる奥多摩です。森や渓流が美しく、手軽に深山の雰囲気を味わえることが気に入ったのです。
しかし当時の私は、あまりにも山の知識が乏しく、また自分の都合の良いように物事を考えていました。天気予報が晴れだと雨具を持たなかったり、急げば問題なしと考えて昼過ぎから登り始めるということが何度かあったのです。その結果、予想外の大雨に降られて全身ずぶ濡れになったり、夕闇に追われつつ必死に歩くといった、初心者にありがちな遭難の一歩手前の状況を、何度も体験することになったのでした。
警察庁が毎年6月に発表する『山岳遭難の概況』の2016年版(現時点ではこれが最新)を見ると、47都道府県での遭難件数の多さは、長野県、北海道に続く3番目が東京都です。コースの多くが日帰り圏内で歩きやすいにも関わらず、大勢が遭難する要因のひとつは、登山者の数そのものが多いということが挙げられるでしょう。そしてやはり、かつての私のような、知識と経験の不足から、つい甘い考えで山に向かってしまう初心者の比率が多いということも、遭難数を押し上げるもう一つの要因ではないかと思われます。
東京都には現在、青梅、五日市、高尾の各警察署に山岳救助隊があります。その中の青梅警察署山岳救助隊で副隊長を務めた金邦夫の著書『金副隊長の山岳救助隊日誌』『すぐそこにある遭難事故』の2冊には、救助する側から見た遭難の実情が記されています。経験の浅い登山者による装備不足、見通しの甘さに起因する遭難についても多く触れられており、とても参考になります。初心者の方にこそ、ぜひ手にとってほしい本です。
困難を極める行方不明者の捜索
この2冊には、初心者の遭難以外にも様々な事例が記されています。ケガをして動けなくなったツキノワグマへの対処や、鍾乳洞の中で発見された遺体の搬出、さらには脱法ドラッグをやって山中をさまよう男たちの捜索や避難小屋を根城にした強盗犯の逮捕など、身近な奥多摩でこんな出来事があったのかと驚くばかり。
しかし多く取り上げられているのは、行方不明になった登山者の事例です。山から帰らないという家族からの連絡を受けると、まずは断片的な情報から行方不明者のたどったコースを推定。そしてそのコース上の危険箇所を重点的に、急斜面では懸垂下降をして様子を探りながら、根気よく丁寧に探していくのです。見つからないときには行方不明者の家族から厳しい言葉が出ることもあるそうですが、それでも諦めずに捜索をする姿勢には、頭が下がる思いです。
「山は本当に危険がいっぱい」
「心せよ! アルプスでも奥多摩でも遭難事故は悲惨」
それぞれの著書に付されたこの言葉を肝に銘じ、手軽な奥多摩でも油断することなく、入念な準備と心構えとで登るようにしたいものです。
ところでこの2冊を読んで思うもう一つのことは、古典から新しいものまで、俳句やエッセイなどからの引用が数多いこと。金氏の文学への造詣の深さが伺えます。
もちろん金氏の文章そのものも、お仕事の合間に書いたとは思えない見事さです。私は金氏と面識があり、ときどきはお酒の席でご一緒することもあるのですが、赤ら顔で酔ういつもの姿からはちょっと想像しにくい、情感あふれる名文であることに、驚かされました。
さらに前回のこの連載で紹介した山野井泰史氏は奥多摩在住であり、金氏ともとても親しいとのこと。『すぐそこにある遭難事故』には、一緒に富士山に登ったときの様子などが記されているので、山野井ファンが読んでもとても楽しめるでしょう。
(『週刊ヤマケイ』2018年5月10日配信号に掲載)