念願のヒマラヤへ向かう「もう一人の加藤」の物語。

加藤文太郎がもし現代にいたら?

 昭和初期に北アルプスの雪山で、単独での驚異的な縦走を行ったことで知られる加藤文太郎。その生涯は新田次郎の小説『孤高の人』などに描かれるほか、遺稿集の『単独行』も、今も多くの人に読み継がれています。
 「不死身の加藤」との異名すらあった、その伝説的な加藤文太郎が、もし現代にいたとしたらどのような登山をするのかと、興味を持つ人は多いでしょう。
 それを試みた作品としては、比較的最近のものでは坂本眞一の漫画『孤高の人』があります。そしてそれより前、1990年代にも、同様の試みの小説が存在しました。それが今回紹介する谷甲州の『白き嶺の男』で、出版された当時は私もすぐに入手して読んだ記憶があります。それがこのたび、ヤマケイ文庫で復刊することに。懐かしさを感じつつ、あらためて読み返してみました。

登山者のブックシェルフ第20回
『白き嶺の男』と同時に、『単独行者 新・加藤文太郎伝』も併せて読むのがオススメです。

信頼できるパートナーと登る

 この『白き嶺の男』は、きこりのアルバイトなどをしながら単独登山を続けてきた、加藤武郎という青年を主人公とした短編小説集。この武郎こそが、もう一人の加藤です。第1話でその武郎は、ある山岳会の新入会員として、先輩とともに冬の八ヶ岳に向かいます。
 ここで多くの人は、単独行の加藤がなぜ山岳会に? と感じるのではないでしょうか。確かに小説の『孤高の人』に描かれる加藤文太郎は、徹底的な単独主義です。物語の最後で命を落とすことになったのも、不本意にパートナーと組んだことが原因として描かれています。
 しかしそれはあくまでも、新田氏の小説の中の話です。実際の加藤文太郎は、より困難な登山を実践するために、ある時期から自らパートナーを求めたとのこと。その結果、吉田富久というクライマーとペアを組み、前穂高岳北尾根や槍ヶ岳北鎌尾根といった、単独では困難な岩稜に向かったのです。
 この小説の加藤武郎も、程なく強力なパートナーと出会います。以降の主人公は、武郎だけでなくそのパートナーと二人。体力に優れ、ビバーク技術に長けて高所にもめっぽう強い武郎と、天才的な岩登りのセンスを持つパートナー。この二人が冬の岩壁やヒマラヤの高峰を、次々と目指していくのです。
 実際の加藤文太郎も、もし北鎌尾根で倒れることがなかったとしたならば、吉田富久とペアを組み続けたに違いありません。そしておそらく単独行よりも、吉田と二人でより困難な登山を目指していくことが、文太郎の願いだったのではないか、とも思うのです。
 『白き嶺の男』が描くのは、実際の加藤とは異なり、志半ばで生涯を閉じることのなかった、単独行のその先を行く「もう一人の加藤」の姿です。その加藤武郎が行う登山はいったいどのようなものなのか? ぜひこのヤマケイ文庫を手にとって読み、確かめてみてください。

(『週刊ヤマケイ』2018年7月5日配信号に掲載)