山への情熱を感じた志水哲也の登攀記。

驚きの単独行者

 私が山岳会に入会して足かけ3年目となる1992年は、とても充実した登攀のできた一年でした。特に谷川岳一ノ倉沢の中でもっとも困難とされる衝立岩は、念願だった雲稜第一ルートを含め4ルートを登攀。満ち足りた思いを感じていました。
 書店で『大いなる山 大いなる谷』という本を見つけたのは、そんな岩登りに明け暮れていたときのこと。何だか古臭いタイトルの本だな、というのが第一印象でした。
 ところが手にとって目次を見てびっくり! 最初の夏季の北アルプス全山縦走はまだしも、次章の黒部の谷では、たくさんの困難な谷の名前が並んでいます。これらをすべて登ったというのは驚きでした。さらに私が苦労して登った衝立岩は、単独で登っているとのこと。積雪期の南アルプスや北海道の長期縦走の章もあります。
 これだけ登っているのならば、長年に渡って経験を積み重ねた相応の年齢のエキスパートクライマーなのだろう――そう考えて著者のプロフィール欄を見て、またびっくり。志水哲也というこの人は、私よりもたった1歳年上にすぎない、27歳だったのです。
 最初のほうを斜め読みすると、志水氏が山に打ち込むようになったのは高校生のときとのこと。スタートは確かに早いのですが、たった1つ歳が違うだけで私の数倍にも及ぶ登山経験を持っているとは…。それまで感じていた満ち足りた思いが、吹き飛ぶほどの驚きでした。
 さっそくこの本を入手して読み進めると、もう一度びっくり! 目次に「単独」と書かれていた衝立岩だけでなく、黒部の谷も冬の長期縦走も、そのほとんどが単独行なのです。中でも極めて困難とされる、剱沢大滝も単独で登っているのは大変に驚くべきことでした。文章は荒削りながらも迫力があり、一気に読み終えました。

登山者のブックシェルフ第8回
この3冊は志水哲也氏の初期の著書。他には『剱 TSURUGI』『黒部』『日本の幻の滝』といった写真集も出版されています。

現在は写真家としても活躍中

 志水氏の山行スタイルの特徴は、単独行であることのほかに、オールラウンド志向であることが挙げられます。90年代前半の当時は、山に打ち込む若者の大半は徹底的な岩壁志向。沢登りや雪山縦走は、やや本筋からは外れているというイメージがありました。けれども志水氏は自分が意欲を覚えるならば、対象にはこだわらずに力を注いでいました。当時の私は所属する山岳会の方向性から離れることができず、無条件に岩登り中心で山行を計画していたのですが、志水氏のことを知ると、その自由さに憧れを感じるようにもなりました。
 そして志水氏のもう一つの特徴は、強い反骨精神です。著書中には一般的な生き方の規範を外れることを咎める社会の風潮に、真っ向から反論する記述が少なくありません。確かに25年ほど前は、学校を出たらただちに就職し、数年後には家庭を持つのが当然とされていました。定職に就かずに山を登り続ける志水氏は、おそらく周囲の「大人」の人々から、厳しく批判されることが多かったと思うのです。
 そういった周囲からの批判に対する反論は、1995年に出版された志水氏の次の著書『果てしなき山稜』のほうがより顕著です。今になって読むと、ストレート過ぎてちょっと気恥ずかしさも感じるのですが、周囲から同じような批判を受けていた当時の私には、自分の気持ちを代弁してくれているように思えて、うなずきながら読んだものです。
 なおこの『果てしなき山稜』も、山の記録としても読み応えがあります。積雪期の北海道の、日高山脈と石狩山地と北見山地とを結び、襟裳岬から宗谷岬までをやはり単独で歩いた壮大な紀行文です。
 その次の1999年に出版された『黒部へ』は、富山県の宇奈月に移り住み、山岳ガイドとなった志水氏の山行記録とエッセイをまとめた本。前2著と比べると、グッと落ち着いた書き口で、黒部についての様々な事柄が記されて興味深い内容です。
 さてその後の志水氏はガイド業に加え、写真家としても活躍中。黒部や剱岳の写真集も出版されているので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。私も志水ファンになってすでに25年以上。これからも活躍を見守りつつ、ずっと応援していきたい登山家です。

(『週刊ヤマケイ』2018年1月18日配信号に掲載)