熱い沢ヤ・成瀬陽一の過激な沢登りの記録。

なぜか不遇な沢登り

 水しぶきを浴びながら渓流を登りつめる沢登りは、とても楽しいものです。連なる滝や岩盤の広がったナメを登ったり、ときには淵を泳いだりもしつつ、最後に水流の細くなった源頭部をたどって山頂に立つのは、まるで山行そのものがドラマのよう。何度経験しても、感動が味わえます。
 その楽しい沢登りも、目指す渓流が険しければ、かなりの困難さが待ち構えています。高さ数十メートルを超える滝を登ったり、両岸が極度に狭まったゴルジュを突破したりするのは、大岩壁でのロッククライミングにも匹敵する、先鋭的な登山のスタイルだと言えるでしょう。
 けれども少し前まで沢登りは、少々不当とも思えるくらい、登山の世界ではマイナーな位置づけでした。私も若い頃に大きめの沢をいくつか登って興味が深まり、クライミングよりも沢登りに力を注ごうかとふと口にしたら、
「沢登りは邪道だよ」
などと山岳会の先輩に言われたりしたものでした。
 今回紹介する『俺は沢ヤだ!』は、山岳雑誌『岳人』に2003年から連載された記事を一冊にまとめたもの。著者の成瀬陽一は、20歳のときからずっと沢登りを登山活動の中心に置いてきた第一人者です。自分が沢ヤ(沢登りをする人)であることを高らかに宣言したこのタイトルには、そういった世間の評価に立ち向かう、沢登りを愛する者の強いプライドが込められていると感じます。

登山者のブックシェルフ第18回
表紙に写るのは、北アルプスのザクロ谷を登る著者の成瀬陽一氏。このあとはいったいどのようにして、この滝を突破したのでしょうか?

冒険小説を思わせる非日常の世界

 この本はなかなか過激な内容です。まず表紙をめくると目に入る口絵が、驚くばかりのインパクトの強さ。人間が立ち入ることができるとは思えないような、大滝やゴルジュの写真が並んでいます。いずれもこんなところに入り込んだら、どうやって抜け出すのかと不安すら感じるほどの景観です。
 続く本文にも、熱がこもっています。序章のタイトルは、「俺は沢ヤだ! 危機一髪! 台湾豊坪渓下流部」というもので、以下のような書き出しで始まります。

ビビっていた。今回ばかりは、正直ビビっていた。こんな大水量の谷は、今まで経験したことはなかった。日本では体験できない台湾の巨大な谷を、幾本か遡ってきたつもりだった。(中略)だが、今、目の前の怒濤の流れは、そんなわずかばかりの経験などちっぽけだとあざ笑うかのように、岩を砕き、白く沸き立ち、触れるもの全てを瞬時に流し去っている。こんな流れに真正面から立ち向かわなければならないのか。ポロポロと鳥肌が経っていく。

『俺は沢ヤだ!』

 以下、こういった調子で、絶望的な滝やゴルジュを前にして呆然としつつも、ギリギリのところで活路を見い出し、泳いだり登ったりと、あらゆる手を尽くして突破していく成瀬氏と仲間たちの力強い姿が描かれていきます。ときにはハードに、またときには軽妙さも感じる成瀬氏の筆は冴え渡り、気分はまるで冒険小説を読んでいるよう。
 とは言ってもこれは小説ではなく、実際の話です。もっと簡単ではあるものの沢登りに親しんできた立場からすると、その描写は強い臨場感をともなって伝わってきます。もし同じ場面に自分が遭遇したら、果たして登りきることができるのだろうか、生きて帰れるのかと考えさせられる場面が連続。本当にドキドキしながら、読み進めることになったのでした。
 この成瀬氏が沢を登る際にもっとも大切にしているのは、未知の探求とのこと。危険かつ難しいことで知られる北アルプスの剱沢を登った記録にも、先人の残置物が多くて未知の要素が乏しかったことから、「究極の観光旅行」と記すくらい、困難さ以上に未知であることを重視する姿勢が伺われます。
 私も近ごろは、目指す山の情報をつい手軽なネットで探したりするのですが、そういった姿勢とは対極にある考えです。しかし山登りとは本来は、未知の体験を求めて行うもの。成瀬氏と同様の登り方は簡単にはできませんが、この本を読むと、見失ってしまいそうな登山の本質が、強く思い起こされるのです。
 近ごろでは国内最難とされる称名川を遡った大西良治氏など、成瀬氏に続く世代の活躍もあってか、沢登りの評価は以前に比べると不遇なものではなくなってきたようです。しかしその再評価の発端になったのは、やはりこの『俺は沢ヤだ!』の力が大きかったと思います。
 残念なことに本書は現在絶版で、入手はやや困難です。ただし間違いなく、面白さは第一級です。ぜひ探し出して、読んでみてほしい一冊です。

(『週刊ヤマケイ』2018年6月7日配信号に掲載)