今なお定番である新田次郎の山岳小説。

アルピニスト伝記長編三部作

 登山に興味を持った人が、はじめて手にする山の本はノンフィクション系が多いのではないでしょうか? そしてそういった本を何冊か読むと、その次には登山をモチーフにした小説も読んでみたくなるというのが自然な流れでしょう。近ごろは笹本稜平の山岳ものや、昨年映画にもなった夢枕獏の『神々の山嶺』、樋口明雄の『南アルプス山岳救助隊K-9』シリーズといったさまざまな山岳小説があり、どれから読もうか迷うくらい。しかし山の小説で定番と言えるのは、新田次郎です。私が登山を始めた30年前から現在に至るまでずっと、書店の文庫本コーナーを一定以上のボリュームで占めていることからも、根強い人気が伺われます。
 代表作には2009年に映画化された『劒岳 点の記』のほか、『強力伝』や『八甲田山死の彷徨』などがありますが、新田次郎らしさを堪能できるのは、アルピニスト伝記長編三部作とされる『孤高の人』、『栄光の岩壁』、そして『銀嶺の人』の3つでしょう。それぞれ文庫上下巻2冊ずつの長編で、読み応え十分です。
 『孤高の人』の主人公は、冬の槍ヶ岳北鎌尾根で命を落とした加藤文太郎。この北鎌尾根の山行は仲間と一緒でしたが、単独で困難な雪山登山を行ったことで知られる昭和初期の登山家です。『栄光の岩壁』は、竹井岳彦が主人公。モデルは若い頃に凍傷で両足の先端3分の1を失いながらも精力的にクライミングに取り組み、日本人で初めてマッターホルン北壁を登った芳野満彦です。『銀嶺の人』の主人公は駒井淑子と若林美佐子。モデルは今井通子と若山美子で、女性としては世界で初めてマッターホルン北壁を登った二人です。
 このように3つとも、小説でありながらも主人公にはモデルとなった実在の登山家が存在することが特徴です。これは新田次郎が得意としたスタイルで、もちろん細部は創作なのですが、大筋のストーリーは実話ということが読者に与える印象を強めています。そのいっぽうで物語の結末を、読む前から予想できてしまうということはあるのですが、登場人物の微妙な心理面でのやり取りなどは小説ならではのものであり、読んで引き込まれます。さらに入念な取材に基いて描写される登攀シーンは、登山者自身が書いた文章よりもリアルさを感じるくらいでテンポよく、とても迫力があります。

登山者のブックシェルフ第4回
読む人によってお気に入りが異なる、アルピニスト伝記長編三部作。執筆されたのは50年ほど前ですが、今も多くの登山者に読み継がれています。

『銀嶺の人』を読んで考えたこと

 私がこの三部作を読んだのは、1990年頃。前回までに紹介した、椎名誠や植村直己の本をひと通り読んだあと、もっと山の本を読みたいと思って書店を探るうちに、新田次郎に行き着いたのでした。
 最初に読んだ『孤高の人』は独りで山に向かう加藤文太郎の姿が胸を打つ小説で、三部作の中での人気の高さは一番です。しかし心の痛む場面も多くて、途中から読み進めることに辛さも感じてしまいました。
 次に読んだ『栄光の岩壁』のモチーフは、登山というよりはロッククライミング。それまでは漠然と、危険なだけの行為と感じていたロッククライミングの魅力を知ることのできた小説です。けれども竹井岳彦の生き方は、あまりにもアウトロー的です。描かれる穂高や北岳での登攀もハイレベル過ぎて、小説としてはとても面白いものの、自分とは縁遠い、限られた人たちの物語といった印象も残りました。
 三部作で私の一番のお気に入りとなったのは、最後に読んだ『銀嶺の人』でした。二人の女性主人公が紡ぎ出す繊細な物語の美しさに加えて、『栄光の岩壁』以上にロッククライミングが具体的に描かれていることが、この小説に惹かれた大きな要因でした。
 駒井淑子や若林美佐子は竹井岳彦よりも、一般人を思わせる身近な存在です。そういった主人公が山岳会に入り、次第に力を伸ばしていくという前半の展開には特にのめり込みました。こういう取り組み方ならば、自分にもロッククライミングは可能ではないかという、期待も感じさせるものだったからです。舞台となる横須賀の鷹取山や奥多摩の越沢バットレス、谷川岳一ノ倉沢といった岩場は私の憧れの対象となり、ぜひとも登りたいと思ったものです。けれども当時の私の力量ではまったく無理であり、やはり山岳会に入る必要があるのだろうかと、考えさせられました。
 この『銀嶺の人』は読んで楽しんだだけでなく、その後の私の進む方向を指し示してくれた小説でもあったのでした。

(『週刊ヤマケイ』2017年11月16日配信号に掲載)