ヒマラヤを舞台にした壮絶な逃避行。

共感を覚えた主人公の生き様

 山の小説には、登山者そのものに焦点を当てた本格派の山岳小説や、山での事件を取り上げた山岳ミステリ小説がありますが、もう一つ大きなウエイトを占めるものとして、山岳冒険小説があります。これは山を舞台とした闘争など、主にアクションシーンが描かれるもので、ボブ・ラングレーの『北壁の死闘』や、真保裕一の『ホワイトアウト』などが有名です。
 私も山岳冒険小説は好きで、話題になったものはだいたい読んできました。その中でも私が一番気に入っているのは、谷甲州の『神々の座を越えて』という小説です。チベット問題を基軸に置いた重厚な内容で、読後に深い余韻を残す、なかなかの名作だと思うのです。ところがなぜか、この小説の人気は今ひとつ。『山と溪谷』2018年1月号の第2特集「登山者のためのブックガイド2018」でも触れられていません。このままではちょっと寂しいので、前日譚となる『遙かなり神々の座』も併せ、ここで紹介します。
 この2つの小説の主人公は、滝沢育夫というクライマー。十分な経験と技術とを持ち、ヒマラヤ登山を繰り返すものの、登頂成功回数はなんとゼロ。いっぽうヒマラヤに同行した仲間は8人も死んでいて、そのことが影響してか、明るさに欠けた陰のある人物として描かれています。さらに滝沢には定職がなくて生活は不安定。所属していた山岳会は気まずくなって退会し、恋人は愛想を尽かして離れていく、といった、八方塞がりの状態が序盤で描かれます。
 普通であれば、こういった人物のことは冷ややかな目で見るのでしょうが、私はこの滝沢には、とても共感を覚えました。この小説を読んだ当時、私は登山を始めて10年目くらい。私自身も、登山に打ち込んでいる割にはあまり成果がなくて苦しんでいた時期であり、八方塞がりの滝沢と自分の姿とが、オーバーラップするように感じたのでした。

登山者のブックシェルフ第13回
『神々の座を越えて』の表紙に描かれるのは、アイガーらしき山。しかし小説中では、アイガーで銃撃戦が行われることはありません。

逃亡の先に待っていたものは?

 『遙かなり神々の座』の主な舞台は、ネパールの8000m峰マナスルの周辺。まるで日本から逃げ出すかのようにマナスル遠征に出向いた滝沢は、登山は途中で打ち切ることになって、山中を彷徨します。そこに登場する場所のいくつかは、私もネパールトレッキングの際に立ち寄った場所であり、興味深く読み進めました。ただしこの小説は、重要と思われた人物が途中で登場しなくなったりするので、読後感はややすっきりしないものでした。
 ところが続編となる『神々の座を越えて』では、そのすっきりしなかった様々な事柄が一気に収束。『遙かなり神々の座』のほうは、この続編のための伏線とも言えるものだったのです。
 その『神々の座を越えて』の冒頭は、スイスアルプスのアイガー北壁の登攀から始まり、その後舞台はネパール、そしてチベットへと移り変わります。
 その過程で主人公の滝沢は追い詰められ、敵対勢力やあらゆる人間関係、そして山からも逃げようとします。ところが最後に逃げ着いた先は、あまりにも予想外の場所でした。そして逃げることがいつしか挑戦に変わり、クライマーとしての誇りを取り戻して、力を振り絞って自分と愛する者の未来を勝ち取っていくことになるのです。クライマックスでの力強い滝沢の姿には、ただただ感動しました。
 私も苦しい日常から逃げ出したい気分になっていた頃に、この本を読んだことでとても勇気づけられたものです。
 作者の谷氏は、SFものを中心に執筆している小説家なのですが、7000m峰にも登っている登山家でもあります。この小説の誇張のない、リアルな登攀シーンやクライマーの心理描写は、ご自身の実体験に基づいたものなのでしょう。
 谷氏の作品では、以前『山と溪谷』に連載されていた『単独行者』も良い小説です。こちらは実在の登山家である加藤文太郎が主人公で、加藤の心理や登山の様子を、やはり誇張なくリアルに描写しています。新田次郎の代表作である『孤高の人』も、同じ加藤が主人公であり、両者を読み比べるのも興味深いでしょう。
 なお今回紹介した『遙かなり神々の座』『神々の座を越えて』を読もうという方には、その前に佐瀬稔の『ヒマラヤを駆け抜けた男』も読むことを強くお勧めします。これを読んでの予備知識があることで、面白さが断然アップします!

(『週刊ヤマケイ』2018年3月29日配信号に掲載)