初めて手にした5冊の山の本。

友人に勧められて山の本を読む

 今週から『登山者のブックシェルフ』と題した連載を担当する、登山ガイドの木元康晴です。私は子どもの頃から大の読書好き。その後、登山を始めてからは、山の本も数多く読んできました。この連載ではそれらの山の本の中から、読んで面白いと感じたものや、自分が登山をする上で影響を受けたものを選び出し、皆さんに紹介していきます。
 さて私が山登りを始めたのは今から30年ほど前の、上京後に会社勤めをしてしばらく経った頃。当時は気分転換のつもりで、3ヶ月に1回くらいのペースで奥多摩などの低山を登っていました。
 転換点は、私の勤務先にアルバイトに来ていた杉浦くんという山好きの学生と一緒に、ゴールデンウィークに八ヶ岳を登ったことでした。赤岳を目指したこの山行は鮮烈な印象を私の心に刻み込み、もっと本格的に登山に取り組みたいと考えるようになったのです。
 杉浦くんにそのことを伝えると、
「だったらまずは山の本を読むといいですよ。僕の本を貸してあげますから、読んでみてください!」との返事が。
それからは彼の持つ本を次々と借りて、むさぼるように一気に読み進めました。そのときに読んだのは、『山男たちの死に方 ――雪煙の彼方に何があるか』『狼は帰らず』『雪煙をめざして』『グランドジョラス北壁』『ミニヤコンカ奇跡の生還』の5冊でした。

登山者のブックシェルフ第1回
『山男たちの死に方』は、のちに『みんな山が大好きだった』に改題されました。

これらの本が問いかけること

 杉浦くんに最初に勧められたのは、ノンフィクション作家の山際淳司氏が書いた『山男たちの死に方』でした。数多くの登山家が取り上げられているので、登山の世界の全体像を把握するにはちょうど良いと考えてくれてのことでしょう。けれどもこの本は、このような書き出しで始まります。

男にとって“幸福な死”と“不幸な死”があるとすれば、山における死は明らかに前者に属するのではないかと思う。それが、この本の出発点である。

『山男たちの死に方』

 書かれている内容は、現在の安全登山を第一とする風潮とはまるで正反対の、命を賭して山に向かう登山家の情熱と精神とを讃える(もちろん無謀登山や、不注意による遭難は除外してのことです)、過激とも思えるものでした。共感はできるのですが、タイトル通りに山での死がたくさん取り上げられていて、登山に取り組むことの怖さも感じてしまいました。
 次に読んだ『狼は帰らず』は、1980年にヨーロッパアルプスのグランドジョラス北壁で墜死した、森田勝氏の生涯を描いたものであり、著者はノンフィクション作家の佐瀬稔氏。安定した生活を捨てても登攀にのめり込む森田氏の姿が、心を打つ名著です。
 その次は『雪煙をめざして』。これは1982年、冬のエベレスト登頂後に行方不明になった加藤保男氏の著書です。登山界のスター的存在だった加藤氏が、自身の華々しい登山歴を綴った爽やかな本なのですが、あとがきの、
「絶対山では死なないぞ!」
という言葉のわずか2ヶ月後には行方知れずになってしまうという事実を知ると、無常感を感じます。
 『グランドジョラス北壁』は1971年に冬のグランドジョラス北壁を登った山学同志会隊の隊長である、小西政継氏の記した記録。『ミニヤコンカ奇跡の生還』は市川山岳会が1982年に向かった中国のミニヤコンカ山の遠征隊で、下山時に遭難状態に陥りつつも、奇跡的に生還した松田宏也氏の手記です。しかし小西氏はそのグランドジョラス登攀中に凍傷を負い、両足指10本と左手指1本を切断。松田氏はさらに痛ましく、膝下からの両足と両手指全てを凍傷で失うという、いずれも壮絶な内容が記されていました。
 これらが書かれたのは、日本の登山家たちがヨーロッパアルプスやヒマラヤでの困難な登山に積極的に取り組んでいた、先鋭登山の最盛期とも言える頃でした。そういった登山の中で限界を突き抜けてしまった人たちの行動を、単に「遭難」で済ませずに、極限状況の中でも困難を追求し続ける人間の持つ意志の力を、これらの本は伝えているのでしょう。
 それにしても、このとき杉浦くんに勧められて読んだ本の5冊ともが、山での死や、指を失うほどの凍傷を扱ったものであったのは、私にとってかなりショッキングなことでした。それはまるで、自分の登山に対する覚悟を、問いかけてくるようなものにも感じられました。私の山の読書は、このような厳しい内容の本からスタートしたのでした。

(『週刊ヤマケイ』2017年10月5日配信号に掲載)