予期せずに出会ったお気に入りの本。

表紙が気になって手にした本

 椎名誠という作家の名前を知ったのは、たしか私が二十歳になった、1986年頃だったと思います。私は書店が大好きで、今も昔も時間があればすぐに足を向けるのですが、当時はどこの書店に行っても、この椎名誠の本は目立つところに置かれていた記憶があります。人気が高かったのでしょう。
 けれどもそのタイトルは、『さらば国分寺書店のオババ』とか『むははは日記』といった、ふざけた感じのものばかり。まったく読む気にはなれず、完全にスルーしていました。
 その数年後、前回のこの連載でも触れたように、私はゴールデンウィークに八ヶ岳を登りました。それからは登山に強い魅力を感じて、書店に入ったらまず真っ先に山岳書コーナーの前に立つようになったのです。
 そんなある日のことです。ふと立ち寄った書店の山岳書コーナーに、表紙がクリーム色の、他の山の本とは雰囲気の違う本が平積みになっているのが目に入りました。その本のタイトルは、『ハーケンと夏みかん』。著者は、椎名誠でした。
 なんだ、椎名誠か…。そうは思いつつも、可愛らしくも見えるその表紙がつい気になって、手に取ってページを開いてみたのです。するとその最初には、

ハーケンというものを最初に教えてくれたのは沢野ひとしだった。高校一年、十六歳の時である。

『ハーケンと夏みかん』

という一文が書かれていました。
 沢野ひとしって、誰? いきなり知らない人名が登場する、とまどいを感じる書き出しです。気になってそのまま読み進めると、その沢野ひとしとぼく(椎名誠のこと)の対話の中で、沢野ひとしやハーケンのことが、さらりと書き綴られていました。
 その文体には、この人を敬遠してきた理由だったふざけた感じもたしかにあるのですが、それは決して不快なものではなく、むしろ明瞭な文章引き立てる軽妙さ、いう印象でした。最初の2ページに目を通しただけで、この本は面白いに違いない!と確信したのです。
 その場で購入を決意して、レジに直行。帰宅後には最後まで一気に読み進めました。そればかりか、翌朝の通勤の電車の中でも読み返し、さらに昼休みにも気に入った部分をまた読み返す、といったハマりよう。おそらく数日の間に、10回以上は読んだはずです。

登山者のブックシェルフ第2回
今回紹介した2冊の本と、愛用のハンマー。ハーケンは、最近は使用する機会はめっきり減ったものの、まだたくさん持っています。

椎名ワールドの虜になる

 自分でもまったく予期せずに、お気に入りの1冊となった『ハーケンと夏みかん』。親しみを感じた理由のひとつには、著者である椎名誠さんの、初々しさすら感じるくらいに無理なく、自然体で山に登る姿に共感したということがあります。
 特に「雪山ドタドタ天幕団」の章に記される、晩秋の奥穂高岳を目指す途中の、以下の一節には心が震えました。

斜面の途中で体を休め、見上げた果てにある空の、黒に近いような蒼さに圧倒された。それは生まれてはじめて見る空の色だった。なんだかこわいような色でもあった。

『ハーケンと夏みかん』

 私自身がその少し前に登った八ヶ岳で見た空に、同じような印象を抱いていたからです。
 さらにこの本は、それまでに読んだ山の本と違って、「死」だとか「凍傷で指を切断」といったシリアスな状況とは無縁です。山に行って美味しいものを食べ、焚き火を囲んで仲間とバカ騒ぎ――何とも楽しそうなことばかり。
 そして何よりもこの本に惹かれた最大の理由は、自由さに溢れていることでした。当時の私の、会社を中心とした単調とも思える毎日とは異質の、山や、川や、僻地を巡り旅する椎名さんとその仲間たちの姿に、猛烈に憧れを感じたのです。
 その頃書店には椎名さんの、『あやしい探検隊 海で笑う』という本もあったので、引き続きそちらも購入。この本はタイトル通り山ではなく海がテーマなのですが、より自由さに満ち溢れていて、これで完璧に椎名ワールドにはまり込みました。
 そしてその後は『あやしい探検隊』シリーズにはじまり、『岳物語』や『哀愁の町に霧が降るのだ』といった私小説的物語まで、数多くの椎名誠作品を次々と読みふけることになったのでした。
 何気なく手にした1冊の本の影響力の大きさに、我ながら今も驚きを感じているのです。

(『週刊ヤマケイ』2017年10月19日配信号に掲載)