今も時おり読み返す佐瀬稔による登山家の評伝。

幻の8000m峰全山登頂者

 『山と渓谷』と並ぶ山岳雑誌である『岳人』を読み始めたのは、1989年春のこと。当時は山の知識が乏しくて、よく理解できない記事も多かったのですが、本格的登山に憧れていた私はこの雑誌に多かった雪山登山や岩壁登攀の記事を、解らないなりに胸をドキドキさせつつ読み進めたものです。
 その『岳人』に、ノンフィクションライターである佐瀬稔の連載が始まったのは1989年の4月号から。群馬県山岳連盟所属の、日本を代表するヒマラヤニスト・山田昇の評伝でした。
 当時の山田氏は、世界に14座ある8000m峰のうちの、すでに9座に登頂。14座全山の登頂は時間の問題と思われていて、この連載は残る5座の登頂の過程を、同時進行で伝える予定だったのです。
 ところが何と山田氏は、連載の第1回目が掲載されるのと同じタイミングで、アラスカのマッキンリー(デナリ)で遭難死。以降は山田氏の足跡をたどる内容で、連載が続けられたのでした。
 私はこの連載は、第1回目から最終回までリアルタイムで読みました。恐ろしいまでに次々と仲間が失われていくヒマラヤ登山の激しさも迫力あるものでしたが、それ以上に心に残ったのは、常に明るくて周囲の人々への気遣いを欠かさない、山田氏の人間的な魅力でした。この人には何としても8000m峰全山登頂を達成してほしかった…そんな無念さを感じたのでした。
 この連載は後に加筆された上で、『ヒマラヤを駆け抜けた男 山田昇の青春譜』というタイトルの本にまとめられています。

登山者のブックシェルフ第7回
佐瀬稔氏の登山家の評伝5冊。『ヒマラヤを駆け抜けた男』の表紙になっている迫力ある写真は、ダウラギリⅠ峰南東稜のナイフリッジです。

クライマーたちの行為を解きほぐす本

 佐瀬氏は私が初めて読んだ山の本の中の1冊だった、『狼は帰らず アルピニスト・森田勝の生と死』の著者でもあります。「一匹狼」とも呼ばれていた森田氏は、近年は夢枕獏の小説『神々の山嶺』の主人公のモデルにもなったので、ご存知の人も多いでしょう。
 組織になじめず、他人と諍いをすることになっても自分の登攀スタイルを貫き通すことにこだわった森田氏の生涯を掘り下げたこの本は、簡単には説明できない森田氏の人間性を力強く伝えています。佐瀬氏の登山家の評伝の中では、もっとも多くの人に愛されている本だと言えるでしょう。
 その森田氏のライバルともされた、長谷川恒男の遭難が伝えられたのは1991年10月のこと。たまたまラジオで耳にした私は、とても驚いたものです。かつてはソロクライマーとしてヨーロッパアルプス三大北壁を登った長谷川氏ですが、当時は既に40歳過ぎ。プロのガイドとして、安定した生活を送っているはずだという先入観があったからです。
 この遭難から3年後に、佐瀬氏は長谷川氏の評伝も著しました。『長谷川恒男 虚空の登攀者』という本です。こちらは抑え気味の筆致で、どうして長谷川氏がソロクライマーとしての道を選んだのか、生活が安定しても危険な山を目指し続けたのはなぜかを解きほぐした、考えさせられる内容でした。
 さらに佐瀬氏には『喪われた岩壁 第2次RCCの青春群像』という著書もありました。これは1958(昭和33)年に設立された、各山岳会のトップクライマーたちを集めた同人組織である第2次ロック・クライミング・クラブ(RCC)が誕生するまでと、その後の活躍について記したものです。登場人物の多くは、この連載の第5回で取り上げた中公文庫に著書があり、個別に読んでいては解りにくい、それぞれのクライマーたちの関連性がドラマチックにまとめられていて読み応えがあります。
 佐瀬氏もその後、1998年にガンで亡くなってしまうのですが翌年には、単行本未収録だった登山家の評伝をまとめたものが出版されて、もう一度その文章に触れることができました。それが『残された山靴 佐瀬稔遺稿集』という本で、上記の森田氏、長谷川氏を含む8人の、山で命を落とした登山家について記されています。
 私はこれら一連の著書は、今も思い出したように手に取ります。長く山に親しんだためか、ともすれば安易なルーチンワークになりがちな今の自分の登山を、本来の真摯なものに軌道修正してくれる…読み返すたびに、そんな気持ちになる本なのです。

(『週刊ヤマケイ』2017年12月28日配信号に掲載)