実際にあった山でのロープ切断からの生還。

山でロープを切断する場面とは?

 ひと昔前の登山を題材にした映画では、自分が助かるために仲間がぶら下がったロープ(ザイル)を切断するシーンがしばしば登場したものです。
 この手のシーンは、まずはロープを結びあって登る仲間が墜落して宙吊りになるところから始まります。自分はロープで墜落者を支えるものの、その重さに耐えきれず身動きがとれないばかりか、体を固定しているハーケンなどの支点が抜け落ちそうになって絶体絶命…という、緊迫した場面に続きます。
 そしてけっきょくは、ナイフを取り出して墜落した仲間がぶら下がっているロープを切断。自分の命は助かる一方で、深い自責の念にさいなまれる…というのが、典型的な物語の展開でした。
 私もまだクライミングを始める前の、岩登りに憧れを感じていただけの頃には、もしそんな状況になったらどうしよう…などと意味もなく心配したりもしたものです。けれども実際にクライミングに取り組んでみると、そういった心配は杞憂だったと知りました。ギアを正しく使い、確実なビレイを行う限り、墜落によって完全に身動きがとれなくなる事態に陥る確率はごく小さなものです。さらに万が一パートナーが宙吊りで身動きとれなくなったとしても、それに対処するセルフレスキューの技術がちゃんと存在するのです。トレーニングを積み重ねてこれらの技術を習得すると、ロープの切断という事態は、想像の中の出来事ではないか?とすら思えるようになったのでした。

登山者のブックシェルフ第12回
キャッチコピーが俗っぽい『運命を分けたザイル』ですが、緊迫感あふれた内容で、『死のクレバス』の状況がとてもよく再現されています。

奇跡的な脱出行

 そんな考えを抱くようになっていた頃に、山仲間から勧められたのが今回紹介する『死のクレバス』でした。舞台が、当時はあまり興味のなかった南米のペルーアンデスであったことに加え、日本には存在しない氷河での事故を取り扱った内容だったため、敬遠していた本です。
 ところがここに記されているクレバスへの転落は、単なる不注意による事故ではなく、パートナーがロープを切断したのが原因とのこと。まるで映画のようなロープの切断が現実に行われたということに興味を覚え、勧められるがままに読んでみました。
 この本に書かれているのは、1985年6月の出来事。著者であるジョー・シンプソンとパートナーのサイモン・イェーツの2人は、未登の氷壁であるシウラ・グランデ峰西壁の登攀に成功し、6356mの頂上に立ちます。けれども問題は下降路でした。頂上からは稜線を北に向かい、隣接するイエルパハ南峰との鞍部まで進んでそこから氷河に降り立つ計画だったものの、実際のその稜線は、たくさんのピークが連なり、亀裂の入った巨大な雪庇が発達するという悪絶さ。思ったように進めないばかりか、途中のピークを乗り越す際に転落したジョーは、脚を骨折してしまうのです。
 このシウラ・グランデ峰のあるワイワッシュ山群は、ペルーの中でも僻地であり、救助は一切期待できません。骨折しても、何とか自力で下山する以外に、助かる方法はないのです。歩けなくなってしまったジョーと、それをフォローするサイモンの二人が、どのように下山を試み、なぜ最終的にサイモンはロープを切断することになったのか? その結果クレバスに転落したジョーは、いったいどうやって脱出、生還したのか? 全編を通して非常に緊張感のある内容で、胸に迫ってくるものがありました。
 これを読んだ当時は私も若く、ときには無鉄砲な姿勢で山に向かうこともあったものです。しかしこの遭難の顛末を知ったことにより、慎重に行動することの大切さや、パートナーに対して持つ責任について考えさせられました。今になって思うと、この本が私を登山者として成長させてくれた部分も、少なからずあったと思います。
 ところでこの『死のクレバス』は、のちに映画化されています。撮影場所は実際のシウラ・グランデ峰の山麓であり、迫力満点です。文章ではイメージしにくい場面も、映像で再現されていて状況が良く伝わってくるので、ぜひ一度ご覧になってみることをお勧めします。邦題は『運命を分けたザイル』というもので、規模の大きなレンタルビデオ店に行けば今もDVDがレンタル可能だと思います。

(『週刊ヤマケイ』2018年3月15日配信号に掲載)