読み継いでほしい小西政継の「北壁」シリーズ。
山岳会入会時に参考にした本
登山を始めてすぐの頃に、友人に借りて読んだ『グランドジョラス北壁』という本がありました。これは著者の小西政継が、ヨーロッパアルプス三大北壁の一つであるグランドジョラス北壁を、条件の厳しい冬に目指した登攀記録です。途中で大寒波に襲われた上に食料を失い、さらにはメンバーが次々と凍傷に侵されていくという壮絶な内容ですが、文章はあっけらかんとしたクールさで、同時に力強さもあり、悲惨さは微塵も感じさせません。これを読んで以降、異様なまでの精神の強靭さを持つこの小西政継という登山家のことが、私の中で特別な存在となりました。
その後様々な山岳書に触発されてロッククライミングに取り組むことを決意した私は、山岳会の門を叩きました。自己流での登山に限界を感じ、経験豊富な人から指導を受けたいと考えたからです。
その前に山岳会とはいったいどんなものなのか、具体的なことを知りたいと思って手にしたのが、同じ小西政継が書いた『ロッククライミングの本』でした。これは小西氏が代表を務める山学同志会という山岳会が、新入会員に対して行う指導内容やトレーニングの様子を、入門書の形で紹介する本です。
この本は文章はコミカルながらも、小西氏ならではのクールさは『グランドジョラス北壁』と同様のもの。読み物としては面白いのですが、非常に厳しいトレーニングの必要性がさらり書かれていて、読み進めるうちに考え込んでしまいました。そのようなトレーニングを果たして自分ができるのかと問われると、ちょっと無理!と思わせるくらいの厳しさだったからです。
けっきょくこの本が暗に勧めていたであろう、山学同志会や同等のハイレベルの山岳会は敬遠。選んだのは中堅の山岳会でしたが、入会後一年あまりの間に、憧れだった谷川岳一ノ倉沢の岩壁や、冬の前穂高岳北尾根などを次々と登って、充実した山岳会での日々を過ごすことができました。
リアリティ溢れる登攀記録
それでも自分でロッククライミングをするようになると、小西氏の著書の本当の魅力が解るようになってきました。描写されたクライミングの場面などを、リアルなものとして感じ取れるようになったためでしょう。多くの本を執筆した小西氏ですが、その中でも面白かったのは「北壁」のシリーズ。小西氏が情熱を注いだ、海外の大きな山の北壁を目指した一連の登攀記録です。
まず読んだのは、冬のマッターホルン北壁の登攀記録である『マッターホルン北壁』。これは『グランドジョラス北壁』に先立って書かれた、小西氏の最初の著書です。冬にマッターホルン北壁を登ったのは、小西氏率いる山学同志会のパーティが世界で3番目。国内の山であっても厳しくトレーニングをすることで、世界トップレベルのアルピニストと肩を並べる登攀は可能だということを実証した、エポックと言える登攀の記録です。
次はネパールの怪峰と呼ばれるジャヌー、そして世界第3位の高峰であるカンチェンジュンガを、いずれも未登の北壁から登頂した『ジャヌー北壁』、『北壁の七人』の2冊(カンチェンジュンガはメンバーは登頂したものの小西氏は途中で断念)。どちらも先鋭的な登山を目指す小西氏と山学同志会の仲間たちの姿が、美化されることなくありのままに描写されていて、ヒマラヤ登山のリアリティが伝わってきます。
さらにその後小西氏は、日本山岳協会によるチョゴリ(K2の中国名)北稜を目指す登山隊の隊長も努め、そちらも『砂漠と氷雪の彼方に』という著書にまとめられています。ただしこの山行のメンバーは山学同志会ではなくて、当時の国内の先鋭クライマーを選りすぐった混成チーム。隊長役の辛さもあちこちに記されていますが、相変わらずのクールさで、読みごたえのある登攀記録に仕上がっています。
私が登山を始めた頃は、すでに第一線を退いていた小西氏ですが、全盛期の頃の小西氏と山学同志会は、日本の登山界のスター的存在だったようです。山の先輩の何人もが、
「山学同志会が目標だった」
と口にするのを聞き、そのたびに影響力の大きさを感じてきました。
ところが最近の若い登山者と話をしても、小西政継の名前を知らない人が多く、とても寂しく思います。日本の登山界では極めて重要な成果を記したこれらの本からは、今も学ぶところがあるし、何よりも読んで面白いものです。今後も多くの登山者に、読み継いでほしいと思います。
(『週刊ヤマケイ』2017年12月14日配信号に掲載)