初めて雑誌の記事を書いてから10年。
「読み物」ページの「岳人(東京新聞)」掲載コラム一覧に、「3月のいい山 大山」を追加しました。
この記事が掲載されたのは、2011年2月15日に発売された『岳人』2011年3月号。私が初めて山岳雑誌向けに書いた記事です。今日は2021年2月15日ですので、それからちょうど10年が経ちました。
記事を書くことになったのはなぜか?というと、自分から編集者にお願いしたからです。
当時の私は鳥取県に住んでいたのですが、前年11月に用事があって上京。
ちょうどその期間中に、当時の『岳人』編集部員である山本修二さんがまとめた、『岳人備忘録』という本の出版を記念する、「岳人備忘録、出版を祝う会」が開催されたのでした。
私は、それに招待されていた山岳会(Climbing Club ZOO)の代表・安村淳さんのお供で、一緒に出席することになったのです。
祝う会は盛大でした。
『岳人備忘録』は、登山界で活躍した人物47人へのインタビューをまとめた本です。
登場する雲表倶楽部の松本龍雄さんや、山学同志会の川村晴一さん、日本登攀クラブの山野井泰史さんなど、憧れていた人たちが目の前にたくさんいるのには驚きました。
その状況に感激しつつ、会場の隅っこでちびちびビールを飲んでいた私にも、山本修二さんはわざわざ声をかけてくださいました。
そこで私は無謀にも、
「私もいつか岳人に記事を書いてみたいと思っていますので、よろしくお願いします」
と言って、名刺をお渡ししたのでした。
山本さんからお電話があったのは、1ヶ月後くらい。
内容は、『岳人』では2011年1月号から、毎月カラーで各地の山を紹介する「いい山」シリーズを連載するということ。そしてそれの3月号に記事を書いてみないか、ということでした。
もちろん二つ返事でOKしました。
締め切りまでの日数は、約2週間。出来が悪かったら後がない、との思いでかなり気合を入れてまとめたのが、こちらの文章です。
今、あらためて読み返してみても、まあまあ良く書けていると思うのですがどうでしょう?
そしてその後間もなく、低山専門山岳ライターの打田鍈一さんにお目にかかる機会が。そこでも初対面の打田さんに、『山と溪谷』編集部に紹介してほしいと懇願。それを聞き入れていただいて、『山と溪谷』は2011年4月号に最初の記事を書かせていただきました。
その頃は雑誌に自分の記事が載るのが嬉しくて、発売になると同時に友人知人にメールを送りまくって、必ず見るようにと伝えたものです。
しかしこの10年で、雑誌に書いた文章の量は膨大です。今ではもう、自分でも把握しきれないくらい。今日もせっせと、山岳雑誌4月号用の原稿を書いています。
(山野井さん、お写真勝手に使ってすみません…)