『岳人』の記事の転載完了。
先月から少しずつ、東京新聞時代の『岳人』に私が書いた記事を「読み物」のコーナーにアップロードしてきましたが、今日で全て完了しました。
記事が掲載されたのは、2011年3月号から2014年7月号までの、全部で14本。その全てが、中国・四国地方の山を取り上げたものです。
記事の多くが10年近く経ったものですが、山の様子が大きく変わっていることはないはずです。これから中国・四国地方の山を目指そうという方には、今ご覧いただいても、きっと役立つと思います。
『岳人』に記事を書き始めた、2011年時点の私の住まいは鳥取県米子市。
すでに登山ガイドとしての活動を始めていて、鳥取県だけでなく、中国5県と兵庫県、それに四国4県の山には、できる限り多く登ろうと努力していました。
書き始めの最初の年は、中国・四国地方の山が新鮮に思えたためか、大きな記事も担当しています。しかしその後の依頼は、1ページだけの「とっておきの山歩き」に限定されてきました。
それでも、今まで『岳人』に紹介されていないコースの記事を書けるのは、とても嬉しいことです。
依頼が入ると、毎回気合を入れて原稿をまとめていました。
その後、2012年12月には私は東京都国分寺市に引っ越しました。それでも2014年9月までは、毎月1回米子市に出向き、山を登る生活を続けています。
したがって中国・四国地方に詳しい状態は続いていたので、最後までそのエリアの執筆となりました。
ちなみに『岳人』の発行元が、現在のネイチュアエンタープライズに変わってからも、しばらくは西日本の記事が中心でした。
しかし最近はさすがに難しく、ほぼ100%が関東甲信越地方の山となっています。
ところで全部で14本としましたが、本当はあともう1本、記事を書いています。
東京新聞時代の最終号となる、2014年8月号の特集「岳人アーカイブズ」の一編で、編集部からの依頼により、積雪期の「伯耆大山縦走」を担当したのです。
大山の一般的な頂上である弥山から、崩落の進むナイフリッジの奥にそびえる剣ヶ峰までを縦走するコースです。
ところが当時は積雪期に限り、自己責任で通行するのは支障なしとされていたこのコースも、翌年には大山遭難防止協会により、通行止めとされるようになりました。
通行止めのコースを紹介するのはいかがなものか?と思われたため、こちらのウェブサイトへも転載はしません。
それでも、掲載されたものと同じ写真だけは載せておきます。
縦走できた当時の雰囲気を、感じてみてください。